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大阪地方裁判所 昭和51年(ヨ)2897号 決定 1977年6月27日

申請人

冨士田和夫

右代理人弁護士

三上孝孜

外二名

被申請人

小太郎漢方製薬

株式会社

右代表者代表取締役

上田太郎

右代理人弁護士

田辺満

外二名

主文

1  被申請人は申請人を被告申請人の従業員として仮りに取り扱え。

2  被申請人は申請人に対し、昭和五一年七月以降毎月二五日限り金一七万四二一〇円宛を仮りに支払え。

3  申請人のその余の申請を却下する。

4  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

一申請人は、「(一) 被申請人は、申請人を被申請人の従業員として取り扱い、かつ、申請人に対し、昭和五一年七月以降毎月二五日限り一ケ月金一七万五〇五〇円の金員を仮に支払え。(二) 訴訟費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、被申請人は、「本件申請を却下する、訴訟費用は申請人の負担とする。」との裁判を求めた。

二当事者間に争いのない事実および疎明資料によれば、次の事実が認められる。

(一)  被申請人(以下、単に会社という)は従業員約一八〇名を擁し、漢方薬の製造販売を目的とする株式会社であり、申請人は昭和五一年五月一七日、試用期間を二ケ月と定められて会社に雇用され、以後会社の管理部人事課員として勤務してきた者である。

(二)  会社は同年七月一二日申請人に対し、その職務の遂行にあたつて初歩的ミスが多く、人事課員として必要な適格性に欠けることを理由に、試用期間満了後は本採用をせず、同期間の末日である七月一六日をもつて解雇する旨の意思表示(以下、本件解雇という)をした。

三しかして被申請人は、本件試用期間中申請人には、人事課員としての実務能力と仕事に対する意欲との欠如を示す仕事上の単純ミスが多発したので、これを理由に申請人を解雇したものであると主張するので、以下まず、被申請人の主張にかかる個々の事例の存否について検討するに、疎明資料によれば、次のような事実を認めることができる。

(一)  会社の人事課では従前から、従業員に対する各月分の給料の支給後、各営業所単位の当月分の給料明細表(精算表)を作成して経理課に報告することとし、かつ、同明細表の作成事務は人事課員森永厚子が担当していたところ、昭和五一年五月分の給料明細表も同月二七日午後五時前頃までに森永課員においてほぼこれを作成し終り、ただ明細表の各項目の合計額の計算だけが未済で、合計額欄の記載がなされていない状態となつていたが、たまたま同課員が翌日休暇をとる予定であつたうえに、終業時間が迫つていたので、早急にこれを片付けたいと考え、隣席に座つていた申請人に右の合計額の計算と合計額欄への記入を依頼した。

そこで申請人は、ただちに手渡された明細表の各項目の合計額の計算に着手し、これを算出して合計額欄に記入のうえ森永課員に返還した。ところが、申請人の計算自体には誤りはなかつたけれども、森永課員が給料台帳から明細表へ転記する際、大阪営業所関係のプロパー手当、乗車手当、失業保険、源泉税(その結果、預り計)、通勤貸付の各項目の数字を誤つて記入していたため、結果的には右各項目の合計額は誤つたものとなり、総合計の数字も間違つたものとなつてしまつた。申請人らは、そのような合計額の誤りを経理課から指摘されてはじめて知つたが、申請人が右合計額の計算に際し、各項目の合計額の計算(横の計算)だけでなく、その合計額をさらに合算する(縦の計算)ことを実行していたならば、その場で右のような誤りを発見することができたはずであるが、申請人は、森永課員の依頼どおり横の計算をしただけで、縦の計算はしていなかつた。

(二)  会社では従業員には給料を現金で支給しているため、その支給に際しては予め金額種類(一万円札、五千円札、千円札、百円玉等の各種類ごとの枚数)を明確にしておく必要があつたところ、昭和五一年六月二三日頃申請人は先輩の人事課員である前記森永課員から、同月分の給料の支給に際し、本社関係六〇名に支給すべき給料の金額種類の計算のほかに、同六〇名関係の控除分(生命保険料、組合費等)および通勤貸付金等についても金額種類を計算し、その合計額を算出するよう指示され、給与控除明細や通勤貸付金等の内訳を記載したメモを渡されていたのに、それを聞き洩らしたため、給料額についてしか金額種類の計算をしなかつた。そのため経理課へ提出すべき出金伝票の金額と申請人の報告した金額種類の計算結果とが一致せず、その原因の発見に若干手間取つた。

(三)  同年七月五日申請人は、片岡博人事課員と二人で会社会議室において、同日支給すべき賞与(八十数名分)の袋詰作業に従事することとなり、まず申請人において明細書により各人の支給額を確かめて紙幣等を数えたうえ片岡課長に手渡し、同課長において再度これを繰り返して誤りがないかを確かめることとして作業にとりかかつたが、まず最初の大西光に支給すべき分として七三万二五二一円を袋詰めすべきところを誤つて六三万二五二一円しか入れなかつたので、片岡課長から気をつけて数えるよう注意を受けた。次いで、池上守に支給する分を数えて袋詰めしたが、六五万二〇〇六円を入れるべきであつたのに、今度も一〇万円少ない五五万二〇〇六円しか入れていなかつた。そこで片岡課長は申請人に対し、注意を受けたばかりであるのにすぐにまた間違うとは、一体何を考えているのかと厳しく叱責したが、三度目もまた五万円少なく数えるという失敗をしてしまつたので、さらに厳しい注意が加えられた。それにもかかわらず四度目も五〇円多く入れすぎる誤りをおかしたが、その後の約八〇名分は一度も間違わないで袋詰め作業を終えた。

(四)  同年七月七日会社人事課において、同五〇年度冬季および同五一年度夏季の賞与金額につき、各事業所の全社員ごとの明細書を作成することとなり、まず片岡課長において五〇年度冬季分の全社員の賞与額と五一年度夏季分の高槻工場関係従業員八四名を除くその他の全社員の賞与額とを他から転記した明細書を申請人に渡すとともに、高槻工場の従業員中七九名分の五一年度夏季賞与関係資料をも手渡してこれを明細書に転記したうえ、各事業所ごとの賞与額の合計と会社員の賞与額の合計とを計算して記入するよう指示した。そこで申請人は、さつそく右七九名分の賞与額を転記し、高槻工場以外の各事業所ごとの合計額を計算して記入し、高槻工場の分についてはとりあえず七九名分の合計額を計算してそれを鉛筆書きで記入したうえ、総合計を計算しないまま一旦これを片岡課長に渡した。しかしそのままではまだ未完成であつたので、片岡課長は高槻工場の管理職五名分の賞与額を書き入れ、さらに申請人に総合計を計算するよう指示した。申請人にこれに応じて総合計を計算して記入したが、その際、鉛筆書きしておいた前記高槻工場の七九名分の合計額は、八四名の合計額に訂正しないまま放置した。

(五)  同月七日頃から申請人は、片岡課長の指示により株主の住所氏名を記載株主名簿を手書で作成する作業にとりかかつたが、出来上つた名簿をみると、かなりの誤字があり、また、書体に癖があるところから幾分判読しにくい字がまじつていた。

四ところで、本件解雇が試用期間満了時における本採用の拒否という方法によつてなされたものであることは前記のとおりであり、疎明資料によつて認められる会社の就業規則の規定の文言、企業内における処遇の実情等に徴すれば、二ケ月の試用期間つきの本件雇用契約は、解約権留保つきの雇用契約であり、右本採用の拒否は、留保解約権の行使による解雇にほかならないというべきである。しかしてこの場合の解雇は、もともと試用期間というものが雇用した労働者の職業能力を試し、その職業的適格性を判定するために設けられるものであることに鑑みれば、通常の解雇の場合に較べてより広い範囲においてその自由が認められるものであるといわざるをえないけれども、使用者の裁量・判断によつて自由に解雇することができるというわけのものでは勿論ないのであつて、右のごとき試用期間の趣旨に照らして客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認される場合にのみ留保解約権の行使としての解雇が許されるものといわなければならない(最高裁判所昭和四八年一二月一二日大法廷判決、民集二七巻一一号一五三六頁参照)。

そこで、以上のような観点に立つて本件の事案を考えてみるに、試用期間中における申請人の職務遂行上の過誤とみられる前認定の五つの事実のうち、まず、本件解雇に決定的な影響を及ぼしたと推測される(三)の賞与の袋詰作業上の金額の数え違いについていえば、上司である片岡課長の厳しい注意・叱責にもかかわらず、連続して四回も金額を数え間違うというがごときはきわめて異常な出来事であり、注意力・集中力等生来の資質の欠缺、仕事に対する真摯な熱意の欠如を疑わしめるものであつて、「些細なミス」としてこれを看過するわけにはいかない。しかしながら一方、それがきわめて異常な出来事であるだけに、上司の面前において生まれてはじめて多額の紙幣を見せられ、慣れない作業に従事したために極度に緊張し、あがつてしまつたことから数え違いをおかし、注意・叱責されたことによつてさらに緊張して気持の余裕を失つたため、さらに同じ過ちを繰り返す結果となつてしまつたという申請人の弁解を、単なる言い訳として無下に斥けることもできないのであつて、そのことは、申請人があとの約八〇名分について全く数え間違いなどしないで賞与の袋詰作業を終えている事実からも窺われるのである。そうだとすると、右の出来事は、「些細なミス」というわけにはいかないけれども、それが申請人の注意力・集中力等資質上の欠陥や仕事に対する熱意の欠如を物語るものであるというのは言い過ぎであつて、極度の精神的素張による一時的現象であり、仕事に慣れることにより二度と起こりえないような性質の過誤であつたとみのが穏当というべきである。

さらに(一)、(二)の点についていえば、それぞれの作業を依頼し指示した森永課員の側にも一半の責任があり、少なくとも申請人の主観においては依頼され指示されたことをそのまま履行しているとみられるのであつて、申請人が一点非の打ちどころのない万全の措置をとらなかつたからといつて、人事課員としての適格性に欠けるとまでいうことはできず、完壁主義をとらない限り、右の点のミスはいずれかといえば些細なものと評価するよりほかはない。このほか、(四)の点については、事の成り行きに理解しがたいところがあり、申請人に過誤があつたのかどうか、かりにあつたとしてそれがどの程度のものであつたのかの点を判断することは困難であるといわざるをえないが、被申請人主張のごとく当初から高槻工場の五名の管理職の分が片岡課長によつて記入されていたのに、申請人がわざわざこれを除外して高槻工場分の合計額を算出しようとしたとみることは、経験則に照らしてもいかにも不自然といわざるをえない以上、前記のごとき事実経過であつたと認定するよりほかはないのであり、かつ、そのような事実関係を前提とする限り、申請人に重大なミスがあつたとみることも困難といわなければならないのである。さらにまた、(五)の点についても、なるほど正確で分り易い 字を書くに越したことはないけれども、いわゆる読み書き能力が一般的に低下しているといわれる現在、この程度の字の癖や誤字を責めるのも酷というよりほかはないであろう。

しかして、以上の諸点を総合して考えるならば、前認定の事実はいずれも、申請人の人事課員としての職業能力ないし職業的適格性を疑わしめるほどの重大な過誤であるとは認めがたく、試用期間の趣旨に照らし留保解約権の行使を社会通念上相当として是認せしめるような客観的に合理的な理由にあたると解することはできないといわざるをえないのである。

五しかして被申請人は、前記作業上のミスのほか申請人には、本来卒業してもいない京都経理専門学校を卒業した旨履歴書に記載するという経歴詐称の事実が存するので、この事実をもあわせ考えると、本件解雇は正当として是認さるべきであると主張するので、次にこの点について検討するに、疎明資料によれば、次の事実が認められる。

(一)  申請人は昭和四一年三月兵庫県竜野市立揖西中学校卒業後、同四三年一〇月京都ユニチカ株式会社に入社し、工員として働いていたが、同四四年四月に大阪向陽台高校(夜間の普通高校)に入学し、昼間の勤務を続けながら同高校に通学するようになつた。しかし、それも同四五年一〇月には中途退学し、その後は、同様に勤務を続けながら独学で簿記の勉強を続け、同四八年六月一〇日には日本商工会議所第三八回簿記検定試験において二級に合格した。

(二)  日本商工会議所の簿記検定試験は一般に権威の高いものとみられているが、申請人はそれまで、独学で簿記を勉強しただけで、学校等においてこれを履修した経験がなかつたことから、自己の知識に不安を覚えるようになつたので、同四八年一〇月に京都経理専門学校の後期夜間専門部(修業年限一年)に入学した。ところが申請人は、翌四九年三月までの前記授業日数一〇四日のうち六六日は出席したが、同年二月一一日に実施された日本経理学術協会(前記経理専門学校は同協会の本部研修所となつている)簿記実務検定二級に合格してからは全く出席せず、同三月一一日から三日間にわたつて行なわれた前期試験も全科目受験しなかつたので、同四九年三月三〇日付をもつて除名されるにいたつた(ただし、除名通知が申請人に送付されたかどうかは明らかでない。)。

(三)  しかるに申請人が会社に雇用されるに際して提出した履歴書には、「昭和四八年一〇月京都経理専門学校入学、同四九年四月同校卒業」と事実に相違することが記載されており、かつ、採用面接の際に申請人がこの点について訂正する旨の発言をしたようなこともなかつた。

以上認定のような事実からすれば、申請人としては、京都経理専門学校を卒業していないことを認識していながら、あたかも同校を卒業したかのごとく履歴書に記載したものであつて、その意味において経歴の詐称があつたといわざるをえない。ところで、一般に経歴詐称は懲戒処分の事由となりうるものであり、会社の就業規則六九条六号が「届出書類に不正があつた」ことをもつて懲戒事由としているのも同趣旨に出たものと解されるが、本件においては、申請人は右経歴詐称を理由に懲戒解雇されたわけではなく、右の点は本採用拒否の一事由として主張されているにとどまつているのである。そうすると、右経歴詐称の事実も、試用期間の趣旨・目的に照らし、それが留保された解約権の行使としての解雇を社会通念上相当として是認せしめるような客観的に合理的な理由にあたるかどうかという観点から評価されなければならず、そのためには、詐称された経歴の内容、詐称の程度および動機・理由その他の事情から、それが申請人の職業能力ないし職業的適格性の評価にどのような影響を及ぼしたかを検討し、それが採否の決定について有する意義を勘案したうえ、これらを総合して判断することが必要であるといわなければならない(前掲最高裁判所昭和四八年一二月一二日大法廷判決参照)。

そこで、右のような立場に立つて本件の場合を考えてみるに、疎明資料によれば次のごとき事実が認められるのである。

(一)  京都経理専門学校は、経理実務に関する学術指導を目的として昭和二三年に設立された学校であるが、もともと学校教育法一条に定める公教育機関としての正規の学校ではなくて、同法八三条所定の各種学校であり、正規の学校では十分期待できない職業的技能を教育する社会教育機関である(洋裁学校・料理学校・美容学校・速記タイピスト学校などと同種の学校である)。このため、申請人の入学した夜間専門部(現在、経理実務コース)でも修業年限は一年で、入学資格も学歴不問とされており、その教科も、会計学、税務、商法などが含まれてはいたが、主体は簿記であり、また、その受講者も、商店・中小企業の従業員、個人経営者、個人タクシー運転手、主婦など様々の者が含まれ、修業年限を了えて卒業する者は約半数であり、かつ、受講者のほとんどは簿記の技術の修得、検定試験の受験を目的としていた。

(二)  ところで申請人は、天満公共職業安定所の紹介により会社に雇用されるようになつた者であるが、これに先立つて会社が同安定所に求人の申込をなすにあたつては、従事すべき業務の内容は「給与計算、株式事務処理、社会保険事務、人事関係事務処理」、必要な資格は「珠算、簿記等若干必要(三級程度)、商業高校以上」である旨明示し、求人票にもそのことを明記していた。しかして、会社が求人の申込にあたつて右のような資格を要求したのは、給与計算や、社会保険事務などに従事すべき人事課員としては、数字の処理に慣れた者の方が好都合で、仕事もし易いと考えられ、かつ、珠算・簿記の三級程度の検定に合格した者であれば数字の処理にも慣れているであろうし、かりに検定に合格していなくても、簿記を必須科目とする商業高校の卒業生ならば同等の技能を有するものと考えられたからであつた。

(三)  そのようなところから、申請人に対する求人面接および入社試験を実施した際にも、会社側の人事担当者である大西管理部長および片岡人事課長らは、履歴書によつて申請人が夜間の普通高校の中退者であることは分つていたけれども、権威あるものとされている日本商工会議所の簿記二級の検定および日本経理学術協会の簿記二級の検定にそれぞれすでに合格しているうえに京都経理専門学校をも卒業している旨同履歴書に記載されてあつたので、それならば商業高校を卒業したのも同等である(商業高校を卒業すれば、簿記三級の検定に合格している程度の技能を有するのが普通)と判断した。もつとも右部長らは、経理専門学校なるものがどのような実態のものであるかについて正確な知識をもつていたわけではなく、簿記の技術を教える学校であろうと常識的に理解していただけのことであり、簿記を必須科目としている商業高校と大差ないはずであると漠然と判断したにすぎない。

(四)  このため、申請人を雇用するに際し会社から右経理専門学校に対し右卒業の事実を照会したようなことはないし(直前の勤務先には電話で照会している)、また、本件仮処分申請がなされるまでの間に、繰り返し解雇理由の説明を求められながら、会社が本件解雇の理由の一つに右経歴詐称の事実があることを申請人その他の者に告げたようなことも全くなかつた(この点からも、解雇後の調査により探し出してきて付けた理由ではないかとの疑いを払拭することができない)。

(五)  なお、申請人が前記経理専門学校を卒業していないことを認識していながら同校を卒業した旨履歴書に記載したことは前記認定のとおりであるが(申請人は、事実上同専門学校の実施する日本経理学術協会の簿記二級の検定試験に合格したことにより、同校を卒業したと思い込んでしまつたと弁解するけれども、このような弁解をたやすく容れることはできない)、そのことと前記求人票の記載とをあわせ考えるならば、申請人がこのように経歴を詐称した動機としては、やはり「商業高校以上」との求人条件に匹敵する資格を有するかのごとく装うことを企図したものと考えるよりほかはない。

以上認定のような事実関係を前提として考えるならば、申請人による本件経歴詐称は、その動機において信義に反するものがあることを否定することはきないけれども、詐称した経歴の内容および詐称の程度の点からいえば軽微なものといわざるをえず、それが申請人の職業能力ないし職業的適格性の判断に決定的影響を及ぼすものとはとうてい考えられないのであつて、それらの点と右認定の諸事情とを総合して判断するならば、右の経歴詐称が、試用期間の趣旨・目的に照らし、留保された解約権の行使としての解雇を社会通念上相当として是認せしめるような客観的に合理的な理由にあたると解することはできず、前項に認定の作業上のミスの点をあわせ考えても同様であるといわざるをえない。

六しかるところ被申請人は、申請人は本件解雇を承認していたものであると主張するので、さらにこの点について考えるに、もともと無効な解雇が労働者の承認によつて遡つて有効になるべきはずはない道理であるけれども、使用者側の解雇の意思表示に対する労働者の挙動その他の事情いかんにより、合意解約が認められたり、あるいは解雇の効力を争う意思の放棄が認定されりすることがありうることは否定することができないであろう。そこで、本件の場合このような事実が認められるかどうかを検討してみるに、疎明資料によれば次のような事実が認められる。

(一)  昭和五一年七月一二日会社の大西管理部長から申請人に対し、人事課の業務には不適格だから、本採用することができない旨告知するとともに、その詳しい理由を聞きたければ説明する旨申し向けたところ、申請人は、不採用と決つた以上、仕方がないので詳しい理由は聞かなくてもよいと答え、さらに、同席していた片岡課長から、次の仕事を探すのならば、十六日まで出勤するには及ばないと告げられた際にも、十六日までは出勤するので、他の従業員にはこのことを話さないで貰いたいと返答した。

(二)  翌一三日、前日の言葉どおり申請人は出勤し、通常どおり仕事をして定時に帰宅したが、その際、机の抽出の中から計算機などの私物を取り出してこれを自宅へ持ち帰つた。

(三)  しかし、同月一四日は朝から出勤せず、午前九時前頃片岡課長に電話をして、やはり職業安定所へ職を探しに行くので会社の方は休みたい、一五日も一六日も欠勤するつもりであるから給料や解雇予告手当は自宅の方へ送金してほしい、受領次第社会保険関係の書類は返送することとする旨を伝えた。

(四)  ところが、同一四日の夕刻になつて、申請人の本採用拒否の情報を得た会社の労働組合(総評化学同盟小太郎漢方薬支部)の執行委員数名が申請人に面会してその間の事情を聴取するとともに、右本採用拒否(解雇)は不当であるから、会社側にその詳細な理由を問い質し、解雇の効力を争つて就労させるよう働きかけるべきであると説得したことから、諦めかけていた申請人も気を取り直し、その説得に従つて会社に働きかけることを決意するにいたつた。

(五)  そこで翌一五日、申請人は前日片岡課長に電話で連絡したことをひるがえして会社へ出勤し、すぐに同課長に対し、納得がいかないのでやはり本採用拒否の理由を説明してもらたいと申し入れ、さらに十六日にも出勤して七月分の給料と解雇予告手当とを提供されたが、その受領を拒んだので、会社はすぐこれを弁済供託した。

(六)  しかして申請人は、その後も引き続き労働組合の支援を受けながら会社に対し、解雇は不当であるから就労させるよう強く要求し、同年八月三〇日にいたつて本件仮処分の申請に及んだ。

以上の認定事実からすると、昭和五一年七月一二日に会社側から本採用の拒否を通告されたときから、同一四日の夕刻に組合の執行委員の説得を受けるまでの間は、申請人においても、会社側がそのように決定した以上、いかんともしがたいと半ば諦めの心境にあつたことが窺われないではないけれども、試用期間の満了する同月一六日の時点においては、すでに気を取り直し、解雇予告手当の受領も拒絶しているのであるから、会社と申請人との間で雇用契約が合意解約され、もしくは、申請人が解雇の効力を争う意思を放棄したものとはとうてい認めることができず、したがつて、被申請人の右解雇承認の主張もまた採用することができない。

七そうすると、本件解雇は結局その効力を生じないものであつて、申請人はなお会社の従業員たる地位にあるものというべきところ、疎明資料によれば、申請人の同五一年六月分の賃金額は一七万四二一〇円(現実の同月支給額から五月分通勤手当八四〇円を控除したもの)であつたこと(支給日は二五日)、申請人は会社から支給される賃金以外に生活を支える手段を持たない労働者であるが、七月分以降の賃金が支給されないため、その後は、組合員からの支援や知己からの借金などによつてようやく生計を維持していることが認められるので、同年七月以降も会社に対し右同額の賃金請求権を有し、かつ、その限度において保全の必要性も肯認されるべきである。

なお、この点につき被申請人は、右賃金額の中には時間外手当、乗車手当、給食手当、通勤手当も含まれているが、これらはいずれも現実の就労を前提として支給されるものであるからこれを控除すべきであり、また、会社が源泉徴収義務を負う所得税額等も控除すべきであると主張するけれども、もともと本件の場合のごとく、労働者において現実に就労していないのにかかわらず賃金請求権を失わないのは、使用者側にその責に帰すべき事由による労務の受領遅滞があるからであるが(民法五三六条二項本文)、その場合に労働者が失わないとされる反対給付とは、労務の提供がなされておれば給付されたであろう対価を指すものと解すべきであるから、就労を前提とする右各手当も、申請人に支給さるべき賃金の額からこれを控除すべきものではない。また、所得税、地方税および各種社会保険料についても、税法および各社会保険法によれば、これらが給与(報酬)から源泉徴収もしくは控除されるのは、給与(報酬)が現実に支払われるときのことであり(たとえば、所得税法一八三条一項、厚生年金保険法八四条一項参照)、しかも支払者は公法上の源泉徴収義務の履行として徴収・控除するだけのことであつて、そのために私法上の賃金請求権自体が徴収税額・社会保険相当額だけ減縮されることになるものではないのであるから、仮払賃金額からこれらを控除するのは相当でないというべきである(被申請人としては、現実の仮払いに際して、これらの仮払金が税法上の給与および社会保険法上の報酬に該当するものと認めて、相当税額を源泉徴収し、社会保険料を控除すればよい)。

八以上の次第で、申請人の本件申請は右の範囲で理由があるからこれを認容することとし、その余の申請(仮払金の一部)を失当として却下し、申請費用の負担につき民訴法九二条但書を適用して主文のとおり決定する。 (藤原弘道)

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